▼worlds 紙芝居王
■01_02
『浮かれた半月が見下ろす墓場から』
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■紙芝居王_第一集第二景
『浮かれた半月が見下ろす墓場から』_ver_0.33

 西の杜の墓守ダーモフが月夜の墓場で見たものは、墓石を足蹴にして眠る娘だった。

 石畳に敷いた外套に小柄な身を大の字で横たえ、娘は熟睡していた。墓石に供えた花瓶は蹴り倒されていた。外套からはみ出た片手には、くびれに紐が結ばれた瓢箪。寝息は静かだったが、無防備に大きく開かれた口の端からは、涎が少し垂れていた。すぐ隣に落ちていた供え物の皿は空だった。

 そんな光景に出くわしたのは、三十年の墓守暮らしの中で初めてだった。更に娘は人間ではなかった。昼間は帯状の長布を頭に巻き付けることで隠していたのだろう。その細布は、だらしなく解けてしまっていた。そして方々に飛び出した髪の中から、二本の長い耳が伸びていた。老人は息をのみ、呟いた。

「<杜人>ぢゃ……」

 大陸に生きる人々にとって、<杜人>は畏怖される存在だった。太古より伝わる人知を越えた力で、いつ果てるともなく続いた先の大戦を終結させたのが、彼らだと伝えられていたからだ。しかし、世界の始まりの島の<古杜>に棲むといわれる彼らを目にした村人は、誰もいなかった。

 おそらく紅色なのだろう。月明かりの下、肩の辺りで大ざっぱに二房に分けられた髪が、それぞれまとまらない筆先のように四方八方に散らばっていた。大ざっぱな赤髪の合間から突き出した耳が違和感なく収まっていた。白銀の耳飾りが、月明かりを映していた。散らばる髪と、そこに半ば埋もれている小作りな顔。北方系だろうか、荒い素材でざっくりと編まれた民族色の強い旅着と、そこから伸びた白く細い手足。それらは互いに、酷く不釣り合いな印象を受けた。百戦錬磨の勇者の鎧一式を着込んだ村の子供、という妙な印象が老人の頭をよぎった。勿論彼は、百戦錬磨の勇者に出会ったこともなかった。
 
 信仰心の欠片もない娘のくつろいだ姿に、ダーモフは畏れはもとより、墓守として憤ることも忘れ、ただ呆れてしまった。月下美人にはほど遠いものの、楽しそうな寝顔からは、何か訳あってこんな場所を寝所に選んだのでも、行き倒れでもなさそうだった。

 ひとまず墓守として何か言おうと娘に近づいた時、すぐ近くで、コツコツという石を叩く音がした。墓守の足が止まった。その響きには、明らかに自分に気づかせようとする意志が感じられた。ダーモフは恐る恐るそちらへ、手にした角灯の明かりを向けた。明かりの端に映ったのは、見慣れた黒い墓石。その上に、見知らぬ異形の白い顔があった。複雑な紋様で縁取られた呪術じみた白い仮面。鉄でも木でもなさそうな白い突起が両耳辺りから斜め上の暗闇に伸びていた。胴は墓石の裏の闇に溶け込み、何も見えなかった。それがあるのかどうかすら疑わしくなるほど、そこに動きはなかった。ただ、表情のない切れ長の細い瞳がじっとダーモフを見ていた。
 老人の悲鳴が、墓場に木霊した。


「爺ちゃん、悪かったなぁー。夜中に墓場でこんなんに遭ったら、そら誰でも叫ぶわな」
 寝ぼけ眼のユトが、バリバリと頭を掻いて言った。大あくびを一つ。彼女は悪戯好きな笑みを浮かべながら、横目で相方のバムザを見た。黒衣の繰人は、墓石の上に墓守が置いた角灯の明かりの隅で、黙々と黒衣から筆や厚紙、角灯などを出し続けていた。ダーモフは不思議な旅の二人組をまじまじと見て言った。
「墓守をして三十年。あんなに肝っ玉が縮んだのも初めてじゃったわい。いよいよお迎えが来るかってのぅ。……ところで、あんたのツレが背負い袋から出しとるのは、一体なんじゃ?」
「芝居道具」
「芝居?」
「うん。まぁ、驚かせたお詫びや。宿代代わりとも言うかも」
「って、今からやるのか?」
「うん」
「こんな場所で?」
「うん……爺ちゃんは、供え物喰って墓石に足乗っけて寝てたうち見ても怒らんかったし。……この耳見て驚いたんとちゃうみたいやし。それにさっき言ってたやろ。『あの世のことはわからんが、墓場で寝るのはどうかのぅ』って」
「あぁ。さっきも思ったんじゃが、このまま往生して、本当にお迎えが来るんじゃろうか…なんてことが、この年になってふと気になり始めてのぅ。墓場で寝るなというのは、まぁ老人の忠告じゃ。とりあえず聞いておいても損はなかろうて」
「ひょっとして神様とか、信じてないん?」
「いや……神様はおると思っとるよ。ただ、三十年墓石を見守ってきた儂も、そろそろお迎えが来ることを考え始めるとなぁ。本当にあの世とやらに行けるのかどうか、急に不安になってきたんじゃよ」
「なんか後ろめたい過去でもあんのん?」
 ユトが下世話根性丸出しで尋ねた。ダーモフが顔をしかめて答えた。
「ないわい。いや、そうではなくてな。勿論儂も地獄より天国に行ければ、とは思っておるが、儂の不安はそれ以前の話でな。そもそもそんな場所が本当にあるのかどうか……ってことなんじゃよ。村の者達は、この墓場が、黄泉路への入り口になる、と信じておるようじゃがの。儂は単に信仰心が足りんだけかもしれんのぅ」
「なるほどなるほど。まぁ、とりあえず、今からやる紙芝居でも見たってや。ご老人の哲学的問い掛け毎日の息抜きくらいにはなるんちゃうかな」
「ほぉ……」

『ここに語るは、半生を静かに終えたある男の、七つの花畑を巡るその後の波乱万丈大冒険』

 繰人絵師がかざす角灯が照らす柔らかな橙色の光の中、長耳弁士が手元の即席台を扇子で一打ち、威勢のいい啖呵と共に、真夜中の大冒険が始まった。

『「私は白亜の都の姫です。どうかこんな姿に変わり果てた私と、<死>によって心を凍らされた都の民をお救い下さい」』

 それは、人の言葉を話す白馬によって自分が勇者だと告げられた、村でしがない雑貨屋を営む一人やもめの中年男の長い旅の物語であった。白馬にまたがり、意気揚々と旅に出た雑貨屋亭主の絵が繰人絵師によって抜き取られると、そこには、『雑貨屋亭主と暗黒時計塔と白馬になった姫に纏る物語』という、題目が現れた。

 男と姫は賢者から、都に現れた<死>に打ち勝つ方法を聞かされる。それはこの国のどこかに七つあるという、妖精王達の花冠の祝福を受ける、というものだった。男と姫は、<夜明けの花畑>を探し求め、国中を旅する。
 七つの花冠の祝福の祝福を受ける為、男は魔女の使いを果たし、竜の謎かけに挑み、岩石魔人と力比べをし、魔法の絨毯で険しい山々を越えていった。
 やがて二人は、七つの花冠の祝福を授かり、閉ざされし王宮の扉を開いた。雑貨屋の亭主は、真夜中直前で都の時を止めてしまった、王宮の中庭外れの時計塔に棲む<死>と踊りを競った。

『その時、冷徹無慈悲、完全無欠だった<死>を打ち負かしたのは、亭主が旅立ちの時、店から持ち出した<コショウ>だった!』
「なんとっ!」
 老人の驚きに調子づいた活弁士が不敵な笑いを浮かべ、手元の即席台を扇子で一打ち。絵師は瞬く間もなく今まで見せていた絵を抜き取り、次の光景を現した。そこには『コショウまみれでよろよろになった<死>』という、作画し難い、この世ならざる光景が広がっていた。バムザの苦労などお構いなしにユトが物語る。
『<死>は豪快にクシャミした。すると次の瞬間、その弾みで止まっていた<時>が再び回り始めた』
「おぉーっ!」
 勢いに任せて語り続ける活弁士に、墓守はただただ驚きの声を上げ続けるのみ。バムザは黙々と次の光景を描き続けた。ユトが思いつくまま物語る。
『<時>は歯車の間に<影>を挟み込み、<今>に留まり続けていた<死>を未来へ引き延ばした。かくして、<時>はあるべき姿を取り戻し、白亜の都へあるべき<未来>を招いた。人々は何事もなかったかのように再び歩み始め、白馬の姫は美しい娘の姿へと還った』

 やがて都を救った二人は、おそまきながら恋に落ちた自分達に気づく。ユトは眉根を寄せ、切ない声で恥ずかしげもなく語り続けた。

『「おお、姫っ! 白馬の貴女も美しかったが、今の貴女はそれ以上。夜空の星々を全て集めたかのような、黒く輝くその瞳! <夜明けの花畑>の花ですらかすんで見える程鮮やかなうす紅色の唇!」』
『「ああ、勇者様っ! あなたの熟した魅力、百万の民の王ですら敵わぬ勇猛さに、私の心は虜です」』
「むー、儂にはちょっと思い出せん感覚じゃのう」
 勢い任せに語り続ける活弁士に、墓守はやや困り顔で途方に暮れた。バムザは黙々と次の光景を描き続けた。木枠の中で抱き合う姫と雑貨屋亭主の周りには、何故か無数の花々が咲き乱れていた。バムザの演出などお構いなしにユトが物語る。
『「おお、麗しの君よっ! 貴女の輝きなくしては、私のこれからの道は何も見えない!」』
『「ああ、愛しの勇者様っ!」』
「……」
 一人二役は加速、相方観客そっちのけで盛り上がり始めたユト。
『←』
 呆れたダーモフがバムザの方を見ると、絵師の掲げる横長の絵は一面の黒地に白い記号が一つだけ描かれていた。その見るからにヤル気のない一筆書きの矢印の先で、うっとり瞳を閉じたまま自身を抱きしめ独り芝居の山場を越えた弁士は、息も絶え絶え、シメの活弁に入った。

『こうして二人は結ばれ、白亜の都で末永く、幸せに暮らしましたとさ』
「ほほー、なにはともあれ、めでたしめでたし、じゃな」
 とりあえず満足げに拍手する観客には聞こえない程小さな呟きで、活弁士は結末を付け足した。
「…でもこの二人。実は生き別れになった兄妹やったりして……」


「なにやら物凄い話じゃったのぅ……あんたらがこんなおかしな話を考えたのかね?」
 ダーモフの問いにユトは、耳も髪も派手に搖れるほど首を大きく横に振った。銀の耳飾りが小さく音を立てた。
「んーにゃ。うちらはそのまま演っただけ。こんなめでたい冒険やってんのは、この下で寝てる人や」
 長耳娘は先程まで自分が足蹴にしていた足下の墓石を軽く蹴飛ばした。
「終盤のあのクソ熱苦しい絡みも忠実再現v」
「なんじゃ? ……その男は確か……村の雑貨屋で独り身のまま、普通に一生を終えたはずじゃぞ」
「だから、その反動で、今は大冒険家になってるって、わけやな」
「今は…?」
「まぁええやん。これでちょっとはお迎えが楽しみになったやろ?」
「……?」

 結局訳が分からないまま、その後は夜明けまで宴が繰り広げられた。そして翌朝、旅の二人組は墓場を去っていった。墓守は謎と共に酔わされ、烏の鳴き声がいつもより甲高く聞こえる青白い墓地に残された。

 ダーモフは西の杜の墓守をして三十年になるが、真夜中の墓場で活弁紙芝居を見たのは初めてだった。お迎えが自分を一体何処へ連れていくのか、老人は相変わらずわからなかった。しかし彼は、少しだけ心が軽くなった気がしていた。供え物の酒でうやむやにされただけかもしれない。それでもダーモフは、あの奇妙な旅人達には、またいつかどこかで会えるような、そんな気もしていた。




 
 
 

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