■紙芝居王_第一集第五景
『強盗が押し入りに来る酒場から』_ver_0.32
酔いどれ達の囃子声。
陽気な笑いと話し声。
パムトの町の酒場、『底なしトルンペック』亭は、今夜も賑わっていた。
角灯の橙色の光が満たす店内。酒棚隣の壁際に作られた小さな板張りの舞台では、演奏を終えた吟遊詩人が客達から大きな喝采と投げ銭を浴びていた。手を振って彼らに応えた詩人が、手近な席に腰を下ろす。リュートを傍らに置いた青年は、先程の稼ぎで早速酒を注文すると、客達に混じって宴を楽しみ始めた。
注目されなくなった舞台の袖では、二人の芸人が控えていた。彼らは酒棚とカウンターの間の暗がりに蹲り、いよいよ迫ってきた本番を前に、最後の打ち合わせをしていたらしい。小声と手振りを交えたやりとりの後、大ざっぱに巻いたターバンからでたらめに飛び出た赤毛が印象的な娘が、先程から両手以外、微動だにしない黒衣の繰人の白仮面に顔を寄せ、妙に真剣な面もちで囁いた。
「ひっさびさの布団付寝床がかかってるんや。バム、気合い入れていくで」
「……」
彼女の耳打ちに、繰人絵師バムザは両手でいくつかの形を示す。相棒の素早い手話に、活弁女史ユトはにんまりと笑った。
「なにゆーてんねん。うちみたいな繊細でか弱い深窓の薄幸才女に、野宿なんて似合うわけないやん。芝居前に励まそ思て心にもないことゆーたらあかん。首へし折るでv」
鈴を転がしたような軽やかな声で、小柄な活弁士は大柄な絵師を明るく脅した。
「ほな、いこか」
兎が巣穴から草原へ飛び出すように、ユトが立ち飲み席の向こうから舞台に現れた。曲芸一座の看板スタアにでもなったかの如く、彼女は両手をにこやかに振って、軽やかに狭い舞台の縁を一巡りした。酒場には場違いな小娘の登場に、酔いどれ達はとりあえず盛り上がった。
「よっ。ネェちゃん、ストリップショーかっ!」
「そんなだぼだぼな格好なんか止めて、とっとと全部脱いじまえよっ!」
「ちょっと痩せすぎなんじゃないかっ!? 胸なんて平らだし、色気のイの字もなさそうだぜっ!」
「おほほほほ。あんたら後で裏口きーや。歯も腰もガクガクいわしたるでv」
懐から取り出し開いた扇子を口元に添えたユトは、上品な声色で、下衆共を軽くいなした。娘に続いてカウンターの影から現れた黒衣の繰人に、酒場の空気が少し固まった。異様な風体と、なによりその場違いに物静かな雰囲気が、酒場の空気を浸食し始めた。ここで場を盛り下げてはなるまいとばかりに間髪入れず、ユトが口上を始めた。
「さてはてほろ酔い気分な皆さん、こんばんは。下品な方々、ファッキュー。ここにいまします黒衣の奇人は、繰人(くりと)のバムザ=ギルレーシュ。大戦時、悲嘆に暮れる人々に希望の明かりを灯して回った、かの伝説の紙芝居王ウナルテナル以来の、稀にみる力ある芝居絵師にてございます」
「紙芝居王?……なんだそりゃ? 聞いたことねぇぞ!」
「大方適当にホラ吹いてんじゃねぇのかっ!? 大体ウナルテナルなんて、何処の国の奴なんだよっ」
「なんだネェちゃん。脱がねぇならさっさと家に帰りなっ!」
「……ッ!」
肩を震わせ眉をつり上げながらも目を閉じてそれらを押さえ、ユトは口上を続けた。
「そして私、絶世の美女にして稀代の活弁士、ユト=アムタ。比類無き才女にして、かつてウナルテナルに啓示と導きを与えたエストラエルの大魔法使い、リリンアファエルの末裔にてございます」
「リリンアファ…?……誰だそりゃ? 聞いたことねぇぞ!」
「絶世の美女なんてホラ吹いてんじゃねえ。ほんとのイイ女は自分で美人だなんて言わねぇんだよっ」
「なんだネェちゃん。脱がねぇならさっさと家に帰りなっ!」
「……ッ!」
肩を震わせ眉をつり上げ犬歯を覗かせながらも目を閉じ、俯き気味にそれらを押さえ、ユトは口上を続けた。
「このバムザとユトにより披露されまする一芸は、琴や笛を奏でる楽士の技でもなく、言葉を詠み上げる詩人の技でもなく。今よりお送りしますは世にも珍しい、ウナルテナルより脈々と受け継がれし伝統芸能。始まりの島生まれの幻の即興紙芝居にてこざいます」
「即興紙芝居?……何だそりゃ? 聞いたことねぇぞ!」
「即興紙芝居なんて仰々しく言ってんじゃねぇ。大体見るだけの俺らからすれば、普通の芝居なんだろっ」
「なんだネェちゃん。脱がねぇならさっさと家に帰りなっ!」
「……あぁーもぉー、うるさいわいっ! 論より証拠。目にもん見せたるっ!」
酔いどれ達に腕を振り上げながらも、ユトは軽く横に飛び退いた。彼女の背後では、バムザが全ての準備を終え、静かに佇んでいた。左右に広げた六本の腕が、後光の如く広がっていた。その東洋神像の如き威厳溢るる姿に、酔いどれ達も一瞬、口をつぐんだ。その隙を逃すことなく、動かない相方の傍らにある講釈台の裏に回ったユト。一挙動にて閉じた扇子で早速目の前の木箱を小気味よく打ち、活弁士は即席物語を語り始めた。傍らの絵師が正面に構える額縁の中には、風格のある家具が品良く飾られた昼下がりの広間が描かれていた。
「ここに語るは、帝都を騒がす怪盗魔術師の新たなる幻惑犯行。誰も見抜けず皆が煙に巻かれる彼に相まみえることが出来るのは都でも唯一人。古来より未来を垣間見続けてきた数奇な血族、ナカラカ家の一人娘、黒髪のカナホのみであった」
活弁士の言葉を受け、絵師が次なる景色を現す。西の壁に等間隔に並ぶ背の高い大窓から、穏やかな午後の光が差し込んでいた。僅かに開いた窓の隙間から、乾いた秋の風が流れ込み、窓脇のレースのカーテンを微かに揺らす。その白いカーテン越しに、白いドレスに身を包んだ長髪の令嬢が、一人佇んでいた。右腕で自身の腰を抱き、左肘を身体に軽く添えた彼女は、左手の白いティーカップから立ち上る湯気越しに、窓の外を眺めていた。彼女は黒髪を僅かに傾け、思案するように呟いた。
「また少し、騒がしくなりそうね……」
広間のドアが、控えめにノックされた。続いて侍女のサーラの声が、厚い樫の扉越しにくぐもって聞こえてきた。
「カナホお嬢様。帝都警察のブル警部補がお目に掛かりたいと、お越しになりましたが……」
「……」
令嬢からの返事はなかった。しばらくして、扉が僅かに開かれた。
「お嬢様……?」
サーラが遠慮と好奇心がない交ぜになった顔を覗かせる。カナホは窓辺にいた。窓に映る景色に何かを捜しているのか、真剣な空気が張りつめていた。ややあって、その空気が唐突に柔らいだ。侍女が憧れる長い黒髪を揺らせて振り返った令嬢は、目を細めて言った。
「……ごめんなさい。わかりました。お通しして」
「おい。なんかこれ、凄くねぇか?」
「あぁ。こんな紙芝居、初めて見た。ガキの頃村で見たのとは大違いだ」
「紙芝居っていうより、最近都で流行りの活動写真みたいだな」
「あの絵師、次から次へと凄ぇ速さで絵をめくってるぞ」
「なんか後ろの方でも描いてるよな。あんなの、画用紙見てなくても描けるものなのか?」
「それにあの嬢ちゃん。さっきまで変な訛りでしゃべってたのに、大違いだ」
「あぁ。声色まで見事な変わりようだ。お嬢様ん時なんて、清楚な色気すら感じさせるぜ」
「お前、何ヨダレ垂らしてんだよっ」
「あれなら脱がなくても、酒の肴くらいにはなるかもなっ」
酔いどれ達が口々に囁き合う。絵師と活弁士による物語は続いた。
ブル警部補の依頼は、カナホの予期していた通りだった。それは最近巷を騒がせているジグモチュなる幻術使いの犯行を阻止するというものであった。レグゼ帝都ホテルの最上階を使って行われている東洋秘宝展の目玉、『ラッナの瞳』を奪うという犯行予告がルッツボウ新聞号外に掲載され、都は今、その話題で持ちきりだった。
『…カナホは都外れの静かな邸宅から馬車に揺られ、事件の舞台へと向かった』
酔いどれ達の驚きに調子づいた弁士が不敵な笑いを浮かべ、講釈台を扇子で一打ち。絵師は田園をゆく馬車の風景を抜き取った。額の中には『多腕幻術師怪盗と深窓令嬢探偵』なる芝居の題目が、活動写真の字幕風に描かれていた。字幕風題目は微かに震えて見えた。わざわざ額縁の裏で揺らされているらしい。細やかな演出効果にも余念がない。客といわず店の者といわず、酒場に居合わせた全ての人々が、二人の芝居の世界へ引き込まれた。額縁の中の御者が、軽く馬に鞭を入れる。客と一緒に飲んでいた吟遊詩人が、即興でリュートを奏で始めた。流れ始めた旋律は、田園風景の向こうに現れた灰色の高層建築群に木霊するかのように、物語へ静かに溶け込んだ。
蒸気四輪や路面風車が騒がしく行き来する雑踏の中、都中心街にあるレグゼ帝都ホテル前に、郊外から来た馬車は止まった。鞭を降ろした御者が眠るように少し俯いた。馬車を降りたカナホは、最上階展示場へと向かった。ブル警部補が部下へ次々と警備の指示を出す中、令嬢は一人、静かに窓辺に立っていた。赤い紐で肩から斜めに吊り下げていた銀の魔法瓶の蓋を開けた彼女は、灰色に煙る町並みを見下ろしながら紅茶を楽しんでいた。慌ただしく作業していた新米警官の一人が、訝しげに眉をひそめ、上司に尋ねた。
「ブル警部補。一般市民の立ち入りはまだ禁止されていた筈ですが。……あの人は?」
「邪魔しちゃいかんぞ。彼女は視ているんだ。怪盗の手の内をな」
「……?」
新米警官も窓を見てみた。彼にとって、高層ホテル最上階から見下ろす昼の都は、せわしなく息づくいつもの風景だった。犯行予告日の空も、見慣れた青空だった。
やがて窓辺を離れたカナホが、ブル警部補に幾つかの指示を出した。短い会話の中、終始頷き続けていた警部補は、早速彼女の指示を部下へ伝えた。それは展示室入り口の係員の蝶ネクタイは青色にしろだとか、『ラッナの瞳』の周囲に吊り下げるランプは六つがいいとか、展示時間を予定より少し延長することとかいった、不可思議でまじないめいたものばかりだった。
午後より始まった展示会は拍子抜けしたように、日が沈む頃、何事もなく終了した。カナホの助言あってか、『ラッナの瞳』の瞳は無事、守り抜くことが出来た。東洋秘宝展は大いに賑わった。やがて来客者もなくなり、僅かな照明だけが頼りの薄暗い展示会場で、何事もなく警備を終えた警備員や警官達が安堵の溜め息を漏らした。帝都警察総力上げての警備のたまものだとか、カナホ嬢の噂を聞きつけた怪盗が、恐れをなして何も手出しできなかったのだろうとかいった言葉が口々に囁かれた。何人かの警官は浮かれたまま、令嬢に感謝の言葉を述べた。
喜びの渦のさ中、カナホは一人、窓辺に立っていた。警官やホテル関係者達の間を縫って歩み寄ったブル警部補は、窓に映る令嬢の浮かない顔を見て足を止めた。彼女が紅茶を飲んでいないのを確認した後、警部補は遠慮がちに問いかけた。窓を見たまま、令嬢が答えた。何かが違う、と。形の良い頤(おとがい)に指を当てると、小首を傾げ、思案するようにカナホは呟いた。
「<走らせる者>も<輪を留める者>も、現れていません。事件はまだ、何処かで密かに続いています」
「しかし、『ラッナの瞳』は無事でしたよ。先程、展示前と同様、鑑定士による真偽の確認も終えました。正真正銘の本物です。偽物とすり替えられた形跡もありません……まさかっ、あの鑑定士がっ!?」
ブル警部補は、驚きながら広間中央を振り向いた。役目を終えた宝石鑑定士が、ホテル支配人と談笑していた。
「……いえ、彼は…」
カナホ呟きを聞き終えることなく、ブルは駆けだした。勢いづいた警部補は、真犯人に吠えながら飛びかかった。支配人が驚いて飛び退く。
「貴様かっ、貴様がジグモチュだったのかっ!! 化けの皮を剥がしてくれるっ!!」
「痛たたたたっ! や、止めてくれっ!!」
変装を暴こうと鑑定士の下顎に手を掛けるブル警部補。しかし皮は剥がれなかった。鑑定士も本物だった。そんな騒ぎの中、階下から上がってきた御者が、広間入り口の警備員に何か告げた。警備員が良く通る大きな声で言った。
「ナカラカ様。お連れの方が、そろそろ帰宅しないと、旦那様が心配なさると申されています」
警部補と鑑定士のやりとりに腰を抜かしていた支配人が、ようやく我に返った。彼はカナホに歩み寄ると、令嬢の手を握り、感謝の言葉を伝えた。
「いやはや、さっきはかなり驚きましたが、やはり宝石は無事だったようです。わざわざ都外れの邸宅からお越し頂き、どうもありがとうございました」
「ええ……」
心ここにあらず、といった返事をするカナホに注意を払うことなく、支配人は展示室内を振り返り、軽く手を広げた。皆の気を引くように二三度手を叩いて注目させた彼は、関係者各位に改めてねぎらいの言葉を掛けると、警備の終了と展示物の片づけを高らかに告げた。警官や警備員、それに秘宝展の運営者達が、それぞれの仕事に取りかかり始めた。浮かれる人々から逃れるかのように、カナホは足早に、その場を後にした。ブル警部補だけが、そんな彼女を見送ろうと、後を追った。
「カナホさん。あなたが仰るとおり、ジグモチュがまだ犯行を諦めてはおらず、どこかであの幻術を使う隙を窺っているのですか? ならば、我々は一体どうすればいいんでしょう?」
ホテルのロビーでブル警部補はカナホの背中に声をかけた。令嬢は立ち止まり、振り向かずに言った。
「彼は多分、自らが事を起こすのではなく、事態そのものが動き出すのを待っている筈。その流れの中に、自らを紛れ込ませているんだと思います」
「と、言うと……?」
ブルには理解できなかった。ただ彼女の言葉を促すことが肝心だということは、これまでの経験から既に学んでいた。
「『一見落着』と皆が一安心した頃、既に宝石は幻とすり替えられていた……そういうことになるかもしれません」
カナホの言葉はブルを喜ばせなかった。彼は困り果てた。
「あの、それでは我々の面目が立たないことになります。ただでさえ、無能な政府のイヌだとか、税金の無駄遣いだとか言われ続けているんですから。宝石一つ守り抜けないとなると、私も進退窮まります」
「そうですよね。ごめんなさい」
振り向いたカナホが珍しく、年相応の娘のように笑った。警部補の心細い返事が、思いの外愉快だったらしい。肩から吊り下げていた銀の魔法瓶が小さな音を立てて揺れた。それらが更に彼女を幼く見せた。拍子抜けしたように、ブルは立ち止まってしまった。我に返った彼は、再び歩き出した彼女の後を慌てて追いかけた。ホテルの玄関を抜けた令嬢は、大理石の広く低い階段を下り、既に表通りに止めている馬車の前で足を止めた。
(本当にこのまま帰ってしまうつもりなのだろうか? もう少し彼女を引き留めなくては、何か大変なことが起こりそうだ)
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