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▼worlds 紙芝居王
■01_05
『強盗が押し入りに来る酒場から』
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■紙芝居王_第一集第五景
『強盗が押し入りに来る酒場から』_ver_0.32

 酔いどれ達の囃子声。
 陽気な笑いと話し声。
 パムトの町の酒場、『底なしトルンペック』亭は、今夜も賑わっていた。

 角灯の橙色の光が満たす店内。酒棚隣の壁際に作られた小さな板張りの舞台では、演奏を終えた吟遊詩人が客達から大きな喝采と投げ銭を浴びていた。手を振って彼らに応えた詩人が、手近な席に腰を下ろす。リュートを傍らに置いた青年は、先程の稼ぎで早速酒を注文すると、客達に混じって宴を楽しみ始めた。

 注目されなくなった舞台の袖では、二人の芸人が控えていた。彼らは酒棚とカウンターの間の暗がりに蹲り、いよいよ迫ってきた本番を前に、最後の打ち合わせをしていたらしい。小声と手振りを交えたやりとりの後、大ざっぱに巻いたターバンからでたらめに飛び出た赤毛が印象的な娘が、先程から両手以外、微動だにしない黒衣の繰人の白仮面に顔を寄せ、妙に真剣な面もちで囁いた。
「ひっさびさの布団付寝床がかかってるんや。バム、気合い入れていくで」
「……」
 彼女の耳打ちに、繰人絵師バムザは両手でいくつかの形を示す。相棒の素早い手話に、活弁女史ユトはにんまりと笑った。
「なにゆーてんねん。うちみたいな繊細でか弱い深窓の薄幸才女に、野宿なんて似合うわけないやん。芝居前に励まそ思て心にもないことゆーたらあかん。首へし折るでv」
 鈴を転がしたような軽やかな声で、小柄な活弁士は大柄な絵師を明るく脅した。
「ほな、いこか」

 兎が巣穴から草原へ飛び出すように、ユトが立ち飲み席の向こうから舞台に現れた。曲芸一座の看板スタアにでもなったかの如く、彼女は両手をにこやかに振って、軽やかに狭い舞台の縁を一巡りした。酒場には場違いな小娘の登場に、酔いどれ達はとりあえず盛り上がった。
「よっ。ネェちゃん、ストリップショーかっ!」
「そんなだぼだぼな格好なんか止めて、とっとと全部脱いじまえよっ!」
「ちょっと痩せすぎなんじゃないかっ!? 胸なんて平らだし、色気のイの字もなさそうだぜっ!」
「おほほほほ。あんたら後で裏口きーや。歯も腰もガクガクいわしたるでv」
 懐から取り出し開いた扇子を口元に添えたユトは、上品な声色で、下衆共を軽くいなした。娘に続いてカウンターの影から現れた黒衣の繰人に、酒場の空気が少し固まった。異様な風体と、なによりその場違いに物静かな雰囲気が、酒場の空気を浸食し始めた。ここで場を盛り下げてはなるまいとばかりに間髪入れず、ユトが口上を始めた。

「さてはてほろ酔い気分な皆さん、こんばんは。下品な方々、ファッキュー。ここにいまします黒衣の奇人は、繰人(くりと)のバムザ=ギルレーシュ。大戦時、悲嘆に暮れる人々に希望の明かりを灯して回った、かの伝説の紙芝居王ウナルテナル以来の、稀にみる力ある芝居絵師にてございます」
「紙芝居王?……なんだそりゃ? 聞いたことねぇぞ!」
「大方適当にホラ吹いてんじゃねぇのかっ!? 大体ウナルテナルなんて、何処の国の奴なんだよっ」
「なんだネェちゃん。脱がねぇならさっさと家に帰りなっ!」
「……ッ!」
 肩を震わせ眉をつり上げながらも目を閉じてそれらを押さえ、ユトは口上を続けた。
「そして私、絶世の美女にして稀代の活弁士、ユト=アムタ。比類無き才女にして、かつてウナルテナルに啓示と導きを与えたエストラエルの大魔法使い、リリンアファエルの末裔にてございます」
「リリンアファ…?……誰だそりゃ? 聞いたことねぇぞ!」
「絶世の美女なんてホラ吹いてんじゃねえ。ほんとのイイ女は自分で美人だなんて言わねぇんだよっ」
「なんだネェちゃん。脱がねぇならさっさと家に帰りなっ!」
「……ッ!」
 肩を震わせ眉をつり上げ犬歯を覗かせながらも目を閉じ、俯き気味にそれらを押さえ、ユトは口上を続けた。
「このバムザとユトにより披露されまする一芸は、琴や笛を奏でる楽士の技でもなく、言葉を詠み上げる詩人の技でもなく。今よりお送りしますは世にも珍しい、ウナルテナルより脈々と受け継がれし伝統芸能。始まりの島生まれの幻の即興紙芝居にてこざいます」
「即興紙芝居?……何だそりゃ? 聞いたことねぇぞ!」
「即興紙芝居なんて仰々しく言ってんじゃねぇ。大体見るだけの俺らからすれば、普通の芝居なんだろっ」
「なんだネェちゃん。脱がねぇならさっさと家に帰りなっ!」
「……あぁーもぉー、うるさいわいっ! 論より証拠。目にもん見せたるっ!」

 酔いどれ達に腕を振り上げながらも、ユトは軽く横に飛び退いた。彼女の背後では、バムザが全ての準備を終え、静かに佇んでいた。左右に広げた六本の腕が、後光の如く広がっていた。その東洋神像の如き威厳溢るる姿に、酔いどれ達も一瞬、口をつぐんだ。その隙を逃すことなく、動かない相方の傍らにある講釈台の裏に回ったユト。一挙動にて閉じた扇子で早速目の前の木箱を小気味よく打ち、活弁士は即席物語を語り始めた。傍らの絵師が正面に構える額縁の中には、風格のある家具が品良く飾られた昼下がりの広間が描かれていた。

「ここに語るは、帝都を騒がす怪盗魔術師の新たなる幻惑犯行。誰も見抜けず皆が煙に巻かれる彼に相まみえることが出来るのは都でも唯一人。古来より未来を垣間見続けてきた数奇な血族、ナカラカ家の一人娘、黒髪のカナホのみであった」

 活弁士の言葉を受け、絵師が次なる景色を現す。西の壁に等間隔に並ぶ背の高い大窓から、穏やかな午後の光が差し込んでいた。僅かに開いた窓の隙間から、乾いた秋の風が流れ込み、窓脇のレースのカーテンを微かに揺らす。その白いカーテン越しに、白いドレスに身を包んだ長髪の令嬢が、一人佇んでいた。右腕で自身の腰を抱き、左肘を身体に軽く添えた彼女は、左手の白いティーカップから立ち上る湯気越しに、窓の外を眺めていた。彼女は黒髪を僅かに傾け、思案するように呟いた。
「また少し、騒がしくなりそうね……」
 広間のドアが、控えめにノックされた。続いて侍女のサーラの声が、厚い樫の扉越しにくぐもって聞こえてきた。
「カナホお嬢様。帝都警察のブル警部補がお目に掛かりたいと、お越しになりましたが……」
「……」
 令嬢からの返事はなかった。しばらくして、扉が僅かに開かれた。
「お嬢様……?」
 サーラが遠慮と好奇心がない交ぜになった顔を覗かせる。カナホは窓辺にいた。窓に映る景色に何かを捜しているのか、真剣な空気が張りつめていた。ややあって、その空気が唐突に柔らいだ。侍女が憧れる長い黒髪を揺らせて振り返った令嬢は、目を細めて言った。
「……ごめんなさい。わかりました。お通しして」

「おい。なんかこれ、凄くねぇか?」
「あぁ。こんな紙芝居、初めて見た。ガキの頃村で見たのとは大違いだ」
「紙芝居っていうより、最近都で流行りの活動写真みたいだな」
「あの絵師、次から次へと凄ぇ速さで絵をめくってるぞ」
「なんか後ろの方でも描いてるよな。あんなの、画用紙見てなくても描けるものなのか?」
「それにあの嬢ちゃん。さっきまで変な訛りでしゃべってたのに、大違いだ」
「あぁ。声色まで見事な変わりようだ。お嬢様ん時なんて、清楚な色気すら感じさせるぜ」
「お前、何ヨダレ垂らしてんだよっ」
「あれなら脱がなくても、酒の肴くらいにはなるかもなっ」
 酔いどれ達が口々に囁き合う。絵師と活弁士による物語は続いた。

 ブル警部補の依頼は、カナホの予期していた通りだった。それは最近巷を騒がせているジグモチュなる幻術使いの犯行を阻止するというものであった。レグゼ帝都ホテルの最上階を使って行われている東洋秘宝展の目玉、『ラッナの瞳』を奪うという犯行予告がルッツボウ新聞号外に掲載され、都は今、その話題で持ちきりだった。

『…カナホは都外れの静かな邸宅から馬車に揺られ、事件の舞台へと向かった』
 酔いどれ達の驚きに調子づいた弁士が不敵な笑いを浮かべ、講釈台を扇子で一打ち。絵師は田園をゆく馬車の風景を抜き取った。額の中には『多腕幻術師怪盗と深窓令嬢探偵』なる芝居の題目が、活動写真の字幕風に描かれていた。字幕風題目は微かに震えて見えた。わざわざ額縁の裏で揺らされているらしい。細やかな演出効果にも余念がない。客といわず店の者といわず、酒場に居合わせた全ての人々が、二人の芝居の世界へ引き込まれた。額縁の中の御者が、軽く馬に鞭を入れる。客と一緒に飲んでいた吟遊詩人が、即興でリュートを奏で始めた。流れ始めた旋律は、田園風景の向こうに現れた灰色の高層建築群に木霊するかのように、物語へ静かに溶け込んだ。

 蒸気四輪や路面風車が騒がしく行き来する雑踏の中、都中心街にあるレグゼ帝都ホテル前に、郊外から来た馬車は止まった。鞭を降ろした御者が眠るように少し俯いた。馬車を降りたカナホは、最上階展示場へと向かった。ブル警部補が部下へ次々と警備の指示を出す中、令嬢は一人、静かに窓辺に立っていた。赤い紐で肩から斜めに吊り下げていた銀の魔法瓶の蓋を開けた彼女は、灰色に煙る町並みを見下ろしながら紅茶を楽しんでいた。慌ただしく作業していた新米警官の一人が、訝しげに眉をひそめ、上司に尋ねた。
「ブル警部補。一般市民の立ち入りはまだ禁止されていた筈ですが。……あの人は?」
「邪魔しちゃいかんぞ。彼女は視ているんだ。怪盗の手の内をな」
「……?」
 新米警官も窓を見てみた。彼にとって、高層ホテル最上階から見下ろす昼の都は、せわしなく息づくいつもの風景だった。犯行予告日の空も、見慣れた青空だった。


 やがて窓辺を離れたカナホが、ブル警部補に幾つかの指示を出した。短い会話の中、終始頷き続けていた警部補は、早速彼女の指示を部下へ伝えた。それは展示室入り口の係員の蝶ネクタイは青色にしろだとか、『ラッナの瞳』の周囲に吊り下げるランプは六つがいいとか、展示時間を予定より少し延長することとかいった、不可思議でまじないめいたものばかりだった。

 午後より始まった展示会は拍子抜けしたように、日が沈む頃、何事もなく終了した。カナホの助言あってか、『ラッナの瞳』の瞳は無事、守り抜くことが出来た。東洋秘宝展は大いに賑わった。やがて来客者もなくなり、僅かな照明だけが頼りの薄暗い展示会場で、何事もなく警備を終えた警備員や警官達が安堵の溜め息を漏らした。帝都警察総力上げての警備のたまものだとか、カナホ嬢の噂を聞きつけた怪盗が、恐れをなして何も手出しできなかったのだろうとかいった言葉が口々に囁かれた。何人かの警官は浮かれたまま、令嬢に感謝の言葉を述べた。

 喜びの渦のさ中、カナホは一人、窓辺に立っていた。警官やホテル関係者達の間を縫って歩み寄ったブル警部補は、窓に映る令嬢の浮かない顔を見て足を止めた。彼女が紅茶を飲んでいないのを確認した後、警部補は遠慮がちに問いかけた。窓を見たまま、令嬢が答えた。何かが違う、と。形の良い頤(おとがい)に指を当てると、小首を傾げ、思案するようにカナホは呟いた。
「<走らせる者>も<輪を留める者>も、現れていません。事件はまだ、何処かで密かに続いています」
「しかし、『ラッナの瞳』は無事でしたよ。先程、展示前と同様、鑑定士による真偽の確認も終えました。正真正銘の本物です。偽物とすり替えられた形跡もありません……まさかっ、あの鑑定士がっ!?」
 ブル警部補は、驚きながら広間中央を振り向いた。役目を終えた宝石鑑定士が、ホテル支配人と談笑していた。
「……いえ、彼は…」
 カナホ呟きを聞き終えることなく、ブルは駆けだした。勢いづいた警部補は、真犯人に吠えながら飛びかかった。支配人が驚いて飛び退く。
「貴様かっ、貴様がジグモチュだったのかっ!! 化けの皮を剥がしてくれるっ!!」
「痛たたたたっ! や、止めてくれっ!!」
 変装を暴こうと鑑定士の下顎に手を掛けるブル警部補。しかし皮は剥がれなかった。鑑定士も本物だった。そんな騒ぎの中、階下から上がってきた御者が、広間入り口の警備員に何か告げた。警備員が良く通る大きな声で言った。
「ナカラカ様。お連れの方が、そろそろ帰宅しないと、旦那様が心配なさると申されています」
 警部補と鑑定士のやりとりに腰を抜かしていた支配人が、ようやく我に返った。彼はカナホに歩み寄ると、令嬢の手を握り、感謝の言葉を伝えた。
「いやはや、さっきはかなり驚きましたが、やはり宝石は無事だったようです。わざわざ都外れの邸宅からお越し頂き、どうもありがとうございました」
「ええ……」
 心ここにあらず、といった返事をするカナホに注意を払うことなく、支配人は展示室内を振り返り、軽く手を広げた。皆の気を引くように二三度手を叩いて注目させた彼は、関係者各位に改めてねぎらいの言葉を掛けると、警備の終了と展示物の片づけを高らかに告げた。警官や警備員、それに秘宝展の運営者達が、それぞれの仕事に取りかかり始めた。浮かれる人々から逃れるかのように、カナホは足早に、その場を後にした。ブル警部補だけが、そんな彼女を見送ろうと、後を追った。

「カナホさん。あなたが仰るとおり、ジグモチュがまだ犯行を諦めてはおらず、どこかであの幻術を使う隙を窺っているのですか? ならば、我々は一体どうすればいいんでしょう?」
 ホテルのロビーでブル警部補はカナホの背中に声をかけた。令嬢は立ち止まり、振り向かずに言った。
「彼は多分、自らが事を起こすのではなく、事態そのものが動き出すのを待っている筈。その流れの中に、自らを紛れ込ませているんだと思います」
「と、言うと……?」
 ブルには理解できなかった。ただ彼女の言葉を促すことが肝心だということは、これまでの経験から既に学んでいた。
「『一見落着』と皆が一安心した頃、既に宝石は幻とすり替えられていた……そういうことになるかもしれません」
 カナホの言葉はブルを喜ばせなかった。彼は困り果てた。
「あの、それでは我々の面目が立たないことになります。ただでさえ、無能な政府のイヌだとか、税金の無駄遣いだとか言われ続けているんですから。宝石一つ守り抜けないとなると、私も進退窮まります」
「そうですよね。ごめんなさい」
 振り向いたカナホが珍しく、年相応の娘のように笑った。警部補の心細い返事が、思いの外愉快だったらしい。肩から吊り下げていた銀の魔法瓶が小さな音を立てて揺れた。それらが更に彼女を幼く見せた。拍子抜けしたように、ブルは立ち止まってしまった。我に返った彼は、再び歩き出した彼女の後を慌てて追いかけた。ホテルの玄関を抜けた令嬢は、大理石の広く低い階段を下り、既に表通りに止めている馬車の前で足を止めた。
(本当にこのまま帰ってしまうつもりなのだろうか? もう少し彼女を引き留めなくては、何か大変なことが起こりそうだ)



































































































































































 ますます不安になったブルがカナホを呼び止めようとした時、彼女はおもむろに魔法瓶の蓋を開けた。彼女に駆け寄ったブル警部補が思わず横から覗き込む。令嬢は馬車の扉の窓を見据え、その場で紅茶を飲み始めた。温もりを確かめるように、銀の蓋の湯飲みに両手を添えて薄く目を閉じると、カナホが言った。
「少し待って下さい。私がここで予見し始めることは、彼が予測しなかったことをかもしれませんから。流れの中で立ち止まってみましょう」
 彼女の言葉に、ブル警部補は今度こそ、安堵の溜め息を漏らした。もう大丈夫、あとは彼女に任せるのみだ、と彼はすっかり安心した。ゆっくりと目を開いたカナホは、紅茶がくゆらす湯気越しの世界に目を細め見入る。馬が気ぜわしげに蹄を掻いた。令嬢は気にとめない。しばらくして、言葉を確かめるように、彼女はゆっくり言葉を選んだ。

「……窓に映った逆さ絵。『其は<走らせる者>、<輪を留める者>の影』……ようやくわかったわ。……つまり、あなたがジグモチュね」
 馬車の前で立ち止まったカナホは、ブル警部補を指さした。
「わっ、私っ!?」
 警部補は仰天して身を退いた。令嬢の人差し指は動かなかった。その示す先には、俯いたまま動かない、御者の背中があった。やがてその肩が微かに震えた。御者が忍び笑いを漏らしながら言った。
「さすがは帝都一の探偵。いや、預言者と言うべきか。私の手はずをことごとく封じる見事なお手並み、とくと拝見させて頂きました。警備員に化けることも石を天井から釣り上げることも、閉館時間を狙うことも出来ませんでしたよ。お返しに宝石共々、貴女も攫ってしまおうと考えていたのですが。馬車に窓があったのが災いしましたな」
「きっ、貴様が怪盗だったのかっ!」
 そう叫んだブルが、御者に飛びかかろうと低く身構えた時、若い警官がロビーを飛び出し血相を変えて警部補に告げた。
「ブル警部補っ! 宝石がっ、『ラッナの瞳』が、ただの石ころに変わりましたっ!!」
「わかってるっ! 今からそれを取り戻すところだっ!!」
 部下の言葉に構ってはいられない。ブルが怪盗に飛びかかった。馬車は勢いよく走り出した。若い警官に続いて次々ホテルを飛び出した警官達が、馬車とブルの後を追って駆け出した。カナホは慌ただしい人々を見送った。しばらくして彼女がぽつりと呟いた。
「馬車を盗られてしまいました……」

「おい、まさかそれで終わりなんて言わねぇだろなっ!」
「結局その令嬢探偵と警部補は、一泡喰わされちまったのかよっ!?」
 口々に騒ぎ出した酔いどれ達を、ユトは扇子の一打ちで黙らせた。彼らの期待を裏切ることなく、絵師と活弁士による物語は続いた。

 カナホはその場に一人、激しく息をついたまま取り残されていた警官に声を掛けた。
「警部補がお帰りになったら、これをお渡しして差し上げて」
 銀の魔法瓶の底蓋を開いた彼女は、そこから小さな藍色の紙箱を取り出した。彼女の掌の上でも小さく見える四角い紙箱は、白いリボンを結わえられ丁寧に飾られていた。最初に飛び出したものの、追いかけるまで体力が続かず、膝に手をつき肩で息をしていた若い警官は、怪訝な顔を上げた。
「?……これは?」
 令嬢はその贈り物を、彼に手渡して言った。
「あの御者が自ら名乗り出すまでは、私もこれが本物かどうか、わからなかったの。うちのお抱え鑑定士に、展示前に替えさせた本物の『ラッナの瞳』です」
「えっ?」
「あなたは熱心で正直な方とお見受けしたので、お渡しします。ブル警部補には、次に屋敷にいらっしゃる時には、ハナタ島のポナペ茶をお持ちして下さい、とお伝え願えます?」
「ええっ!?」
 とんでもない預かり物してしまったことに驚く警官へ、彼女は優雅に一礼した。


 酔いどれからへべれけへと変わり果てた野郎共は、拍手喝采で二人をもてはやした。都で流行の活動写真を彷彿させる程に数多くの芝居絵を描いた絵師と、その絵世界へと自然と引き込ませるような活弁士の流麗で隙のない見事な語り。その場に居合わせた者達は皆、驚きと喜びの念を禁じ得なかった。

「繰人のアンちゃん、ご苦労さん。あんないっぱい絵を描きまくって疲れなかったかい?」
「おいおい、いちいち疲れてたら、あんなに描けるわけねぇだろ。やっぱ繰人は違うよなぁ」
「ネェちゃんも凄ぇ語り部だったんだなぁー」
「でもやっぱり痩せすぎなんじゃないかっ? 芝居止めた途端、色気のイの字もなくなったぜっ!」
「おほほほほ。あんたら後で裏口きーや。歯も腰もガクガクいわしたるでv」

 即興で伴奏を付けていた吟遊詩人が、おもしろそうなので、是非一緒に旅をしたいと申し出た。ユトは意外にも、彼の申し出をやんわりと断った。
「うーん……うちらの劇に音がつくんは、もう少し先のことになりそうなんよ。いい腕してるとは思うんやけど、この話からあんたが加わるって啓示もなかったし。今回はちょっと違うたい。ごめんな」
 詩人の青年は、残念そうに笑ったが、それ以上無理強いすることはなかった。


 厨房で酒とつまみを用意していた『底なしトルンペック』の亭主が、芝居を終えてやってきた二人組を見て言った。
「ご苦労さん。そのない胸を張って言ってた通り、なかなかの見物だったな」
「一言多い。あんたも裏口の生ゴミの仲間入りしたいんか?」
 ユトが据わった目つきで挑み掛かるように言った。その冗談とも本気ともとれる響きをあしらうように、亭主は腹の底から笑った。
「悪い悪い。あそこに居た客の言うことももっともだと思ってたんでな」
「そのバカやったら今頃、生ゴミまみれで後悔してるわ」
「あーあー、やっちまったか。暴力反対。うちの評判のこともちょっとは考えてくれよな。それはさておき、芝居前に嬢ちゃんの言ってた『啓示』ってのは、結局のところ、一体何なんだ?」
 黒い口髭が見事な『底なしトルンペック』亭の店主が尋ねた。
「つまり、あの芝居みたいな事が、この辺……うちの勘やと、多分この店……にも起こるってことなんやろな」
 形の良い頤(おとがい)に指を当てると、小首を傾げ、思案するようにユトは呟いた。
「だから、それはどういうことなんだ?」
「この店も今夜辺り狙われてるんちゃうかな?」
 恰幅のよい店主が太い腕を組みしながら、更に尋ねた。
「分かんねぇな。だいたいここはレグゼ帝都ホテルでもなけりゃ、『ラッナの瞳』なんてお宝もないんだぜ?」
「じゃあ、単に金目のもんってことか。……となると、百腕怪盗もこりゃ二本腕のコソ泥に格下げやな」
「そういや、あんたも令嬢から格下げみたいだしな。胸なんか確実に減ってるし」
 店主が軽く言った。ユトがムッとして答えた。
「うるさいな。ぶよぶよの乳なんか邪魔なだけや。そんなことより、『転ばぬ先の杖』ちゅうやろ。酔っぱらい共の投げ銭は寄付や。受けとっとき。最悪、見舞金になるかもしれんし」
「その稼ぎで素直に泊まればいいだろ」
「ちゃうちゃう。うちらが金払って泊まるのと、あんたが芝居信じてうちらを泊めるのとは、大違いやん!」
「そりゃこっちの儲けからすれば大違いだ」
 相好を崩し店主が大笑いした。小娘はふくれっ面で言い返した。
「あかん。あんた全然わかってないわ。うちらほんまもんの芸人なんやで? ちゃんと芝居を信じてもらわな、ほんまは演った意味ないんよ」
 目を尖らせムキになる小娘に、店主は困惑を隠せずに言った。
「芝居を信じるってもなぁ……それってただの作り話だろ?」
「作ってなんかない。演ってるだけや」
「はぁ?」
「つまりやな。その場所で今まで起ったこととか、これから起こることを、即興で芝居に見立ててるんや。ま、ゆうたら預言者ってやつかもな」
「はぁ……。見かけに寄らず、小難しいことを言う嬢ちゃんだな」
「『見かけ』は余計や。ホンマの事言うのに、大人も子供も関係あらへん」
 堂々巡りなやりとりに、亭主は肩をすくめた。困ったように短く刈り込まれた白髪交じりの頭を掻きながら、彼は言った。
「そりゃ、芝居はおもしろかったけど。要は投げ銭は『寄付』ってことにしてまで、『タダ』で泊まりたいんだな?……俺、自分で言っててわけがわからないんだが」
「まぁー、信じるか信じんかは、オッサンの自由やけどな」
 ユトの言葉に、亭主は困り果てた。
「さっきの袋小路に居合わせた私としては、とても信じる気にはなれませんが」
 酒場の厨房にまでついてきていたカムパネラが口を挟んだ。ユトが横目で睨んだ。
「うるさいな。商談中や。ちょっと黙っとき」
 結局、自分が折れてもいいと思ったらしい。亭主が納得したとばかりに、頷いて言った。
「とりあえずあんたら、今晩の宿に困ってるんだろ。いいぜ。うちに泊まっていきな。勿論タダだ。なかなかおもしろい芝居も見せて貰ったことだしな。ついでに明日の朝食も付けてやろう」
 ユトの顔がぱっと、明るくなった。
「おっ、物わかりのええオッサンやな。年とっても柔らかい頭を持ち続けるってのは、ええことやで」
「話を信じ込んだばかりに、柔らかい頭をブツけた気の毒な人もいますけどね」
 思わずカムパネラが口を挟んだ。ユトが横目で睨んだ。
「うるさいな。商談成立や。いい加減黙っとかな、あんたも裏口でゴミ箱被ってノビてる奴らの仲間入りやで」
「……」
「……」
 旅商人は口をつぐんだ。バムザはいつも通り、無言でそのやりとりを眺めていた。飛び入り客がまた、持ち芸を披露し始めたのだろう。店の方で、新たな歓声が上がった。

 酔いどれ達の囃子声。
 陽気な笑いと話し声。
 パムトの町の酒場、『底なしトルンペック』亭の賑やかな夜は、まだ続きそうだった。



■紙芝居王_第一集第五景幕間
『強盗が押し入りに来る酒場で』

「ったく、結局今日は稼ぎ直しかよ……」
 月のない深夜。人気のない路地裏。『底なしトルンペック』亭に、招かれざる客が現れた。その男は散らかった生ゴミを蹴散らし、黒い建物を見上げた。やがて彼は一人、愚痴をこぼしながら自らが投げた細綱を頼りに壁を上り、不用心に開け放たれたままの店の二階へ潜り込んだ。強盗は静かに床に足を降ろした。しばしの間身動きせず、彼は外よりもなお暗い部屋の中で、闇夜に目が慣れるのを息を殺し待った。闇の中で形を成し始めた壁際の寝台から、呆れた声がした。
「あんた。壁に頭ぶつけて、余計アホになったんちゃうか」
「…あっ! お前はっ!」
 強盗は心底驚いた。てっきり酔い潰れているとばかり思っていた宿泊客が起きていたこと。そしてそれ以上に、暗がりから掛けられた娘の声には、聞き覚えがあったからだ。
「てめえっ! 昼間はよくも騙しやがったなっ!」
 強盗は思わず大声を上げてしまった。怠そうに寝台から躰を起こし、相手が言った。
「信じたかったのはあんたやろ。うちは小話しただけや。で、スリに飽き足らず、今度は押し入りかいな。まぁ、せっかく入ってこれるように縄結んだったんや。せいぜい盗人らしいことでもしてみたら?」
 からかうような響きに強盗は逆撫でされた。目を凝らすと、自分が投げ込んだ細縄は、娘が腰掛ける寝台の足に、わざわざ結わえられていた。
「……あぁ、わかったぜ。とりあえず、てめえの命でも貰うことにしてやらぁ!! あの世で後悔しなっ!!」

 宿泊客を脅す為懐に忍ばせていた匕首(あいくち)を閃かせ、強盗は寝台に腰掛けあくびをしているらしき小娘に襲いかかった。黒い風が吹いた。次の瞬間、男は何が起きたのか理解できなかった。まっすぐ突き出したはずの匕首は、確かにその先の物を深々と突き刺した。だがそれは器用に立てられた枕だった。それに気づいた瞬間、強盗の側頭部に衝撃が奔った。首をねじ曲げたまま、寝台の先の暗がりへ飛ばされた強盗を、白い手を伸ばした黒衣の繰人が受け止めた。背後の壁を蹴って男の頭上へ飛び跳ね、鋭い回し蹴りを放ち、その反動で回転しながらも、床板を軋ませることもなく小娘が着地した。銀の耳飾りが小さな音を立てた。部屋の中央で両手を広げ、鳥のように降り立ったユトが振り向き、相方に言った。
「うちは倒したんちゃうからな。長老には黙っときや」
「……」

 部屋の隅の長椅子では、旅商人が何も知らず、穏やかな寝息を立てていた。




 
 
 

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『強盗が押し入りに来る酒場から』
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